Nurnbergクリスマスマーケット [旅行]
今年もいよいよクリスマスシーズン。今年はドイツの中でも評判が良いというニュルンベルクに行ってみることに。昼はいつも通りフランクフルトでラーメンを食べ、さらに東を目指す。今年の欧州は冷え始めるのが早く、この辺りのアウトバーンも既に冬景色。
ニュルンベルク到着時にはすっかり日も暮れていた。ホテルを取った中央駅前は丁度道路工事中で一方通行だらけ。街を何周かしてようやくホテルにたどり着く。ともあれ、早速旧市街へ。
ローテンブルク程小さな町では無いので、若干新しい建物が紛れ込んでいるが、それでも古い部分は雰囲気あって良い感じ。
初日なので近場だけ散策して、その辺のレストランへ。名物のニュルンベルクソーセージは小振りで、添えられたマスタードとホースラディッシュも美味しく、ちょっと多いかな?と思った12本もペロリだった。
帰る頃にはまた雪。本当にクリスマス目前という雰囲気で1日目終了。
二日目の朝は思ったほど雪が積もっていなかったが、一応冬らしい景色の中、北バイエルン周辺の街に買い出しに出かける。ナハトマン、ローゼンタールなどのアウトレットを回って、夕方ニュルンベルグに戻る。そこからいよいよクリスマスマーケットへ。中央駅前のホテルから旧市街北側にあるマーケットまで少し歩くが、街並みは最初からクリスマス雰囲気たっぷり。
ペグニッツ川を渡るといよいよメインのマーケット会場が見えてくる。この川を前回渡ったのは20年くらい前の夏だったが、時代のせいか、季節のせいか、だいぶ雰囲気が変わった気がしてちょっと感慨深い。
クリスマスマーケットは流石に有名どころだけ有って外国人観光客が多い。グリューワイン屋にも日本語を始めとする各国語の案内があって、「カップは各店舗で使いまわせます。最後に返却しても、お土産として持って帰っても良いです。」と言ったルール説明がしっかりされていた。さすが先進国の観光対応は手慣れていると感心。
グリューワインをたっぷり飲んで、ニュルンベルクソーセージを食べて、レープクーヘンを食べて、、、と殆ど飲んで食べてるばかりだったが、しっかり堪能。ただ、ドイツの街はどこも立派なクリスマスマーケットを出しているので、正直なところ「わざわざニュルンベルクじゃなくても」と思った。足を延ばすならウイーンの方が洗練度も出店の味も上手だったかなと思う。(備忘録)
最後はビアホールで飲み直したが、こういった場所もオーストリアの方が良いかなぁと個人的に思う。(量は少なくて良いからクオリティを・・・と。)
ニュルンベルク到着時にはすっかり日も暮れていた。ホテルを取った中央駅前は丁度道路工事中で一方通行だらけ。街を何周かしてようやくホテルにたどり着く。ともあれ、早速旧市街へ。
ローテンブルク程小さな町では無いので、若干新しい建物が紛れ込んでいるが、それでも古い部分は雰囲気あって良い感じ。
初日なので近場だけ散策して、その辺のレストランへ。名物のニュルンベルクソーセージは小振りで、添えられたマスタードとホースラディッシュも美味しく、ちょっと多いかな?と思った12本もペロリだった。
帰る頃にはまた雪。本当にクリスマス目前という雰囲気で1日目終了。
二日目の朝は思ったほど雪が積もっていなかったが、一応冬らしい景色の中、北バイエルン周辺の街に買い出しに出かける。ナハトマン、ローゼンタールなどのアウトレットを回って、夕方ニュルンベルグに戻る。そこからいよいよクリスマスマーケットへ。中央駅前のホテルから旧市街北側にあるマーケットまで少し歩くが、街並みは最初からクリスマス雰囲気たっぷり。
ペグニッツ川を渡るといよいよメインのマーケット会場が見えてくる。この川を前回渡ったのは20年くらい前の夏だったが、時代のせいか、季節のせいか、だいぶ雰囲気が変わった気がしてちょっと感慨深い。
クリスマスマーケットは流石に有名どころだけ有って外国人観光客が多い。グリューワイン屋にも日本語を始めとする各国語の案内があって、「カップは各店舗で使いまわせます。最後に返却しても、お土産として持って帰っても良いです。」と言ったルール説明がしっかりされていた。さすが先進国の観光対応は手慣れていると感心。
グリューワインをたっぷり飲んで、ニュルンベルクソーセージを食べて、レープクーヘンを食べて、、、と殆ど飲んで食べてるばかりだったが、しっかり堪能。ただ、ドイツの街はどこも立派なクリスマスマーケットを出しているので、正直なところ「わざわざニュルンベルクじゃなくても」と思った。足を延ばすならウイーンの方が洗練度も出店の味も上手だったかなと思う。(備忘録)
最後はビアホールで飲み直したが、こういった場所もオーストリアの方が良いかなぁと個人的に思う。(量は少なくて良いからクオリティを・・・と。)
Poland-Germany4日目 [旅行]
旅行4日目はクラクフの街にお別れし、色々観光しつつベルギーに戻る。
朝はヴェリチカ岩塩坑へ。朝9:30の見学ツアーを予約したので早起きして現地に向かうが、週末の朝なので渋滞もなく、30分少々で余裕をもって到着。周りには客引きしている駐車場がたくさんあり、場所によって結構値段が違うので注意です。(ご参考)
さすがにユネスコ世界遺産第1号だけあり、朝9時とはいえ入場門前は賑やか。我々は予約した英語ツアーに並んで、予定時刻にいざ入場。最初は階段で60mほど垂直に下に降りる。一番下は300m位まで続いているそうで、全然地面が見えないのはスリリング。
見学はこのレベル1からスタート。最下層はレベル9まであるが、見学はレベル3まで。ガイドさん自身も下には行ったことがないとのこと。
枝分かれする坑道を少しずつ進んでいくと、所々に見事な岩塩の彫像がある。
当時の採掘シーンを再現した人形も並んでいる。岩塩を掘ってトロッコで運んでいたそうだが、ちょっとかわいそうなのは馬たち。地下までロープで下ろすので、一度入ったら二度と出られなかったそうだ。
所々に広がる空間は木材で補強してある。結構な量を使っているので、崩落を防ぐのも相当大変な作業なんだろう。こういった場所にある階段で少しづつ深い場所に降りていくが、当時はもちろんこんな綺麗な階段もなかったそうだ。
地下3階にある大聖堂。壁画もシャンデリアも全て岩塩で、見事な出来栄え。
かなり精巧だが、よく見ると少し下手なのが微笑ましい。半分芸術家、半分坑夫くらいの人が作ってた?
地下にはガスや水が湧く場所があるが、ここは水を止められず水没してしまった場所。この先にも多くの坑夫達がいたため、この岩塩坑で最大の犠牲を出した事件になった。(高濃度の塩水なので泳いで帰ることも不可能だそう)。
最後は160mの地下からエレベータで地上に上がって終了。さすがにユネスコ第1号だけあって見事に整備されていたが、一方でギリギリ俗っぽくなり過ぎないレベルで楽しめた。
ヴェリチカを後にしたら高速道路に乗ってドイツ方面に一気に移動開始。クラクフ周辺の高速道路は有料なので所々に料金所があるが、ETCもあるのにガッチリ渋滞するのが微笑ましい。
高速道路の制限速度は140km/hという珍しい設定で他国より高めだが、国土が広く平らなので高速走行は楽。連れに運転を任せて車窓見学を楽しむ。周りに広がる畑の農作物も殆どウォッカになるのかなぁ、なんて。
通り道なのでまたボレショワビエツに立ち寄る。
閉店まで1時間ほど。連れが満足するまで周りを散歩したり、読書したり。
ほんの少し遠回りだが、夕食はベルリンに立ち寄ることに。アウトバーンで市内に入ると毎回出迎えてくれる小熊像に日没前にご挨拶。また他の欧州の都市と違う、どこかアメリカ東海岸を彷彿とさせる光景を眺めつつ、目的地を目指す。
今回のお目当は匠ラーメンのベルリン支店。場所はベルリン中心街から少し北に行った場所で、少しゴミゴミしたところだが、探せば路駐場所も見つけられる場所。ラーメンは自分好みと少し違ったが、とにかくお腹一杯。ごちそうさまでした。
後はもう少しベルリンの街を車窓見学。ライトアップされた建物を眺めながらブラブラ走る。
赤の市庁舎。
フランス大聖堂。
ベルリン中心部を時計周りにぐるっと回ったが、どこを見ても立派な建物ばかりで、これは車窓見学にうってつけの街だと思う。この後ポツダム広場、カイザーウィルヘルム教会を通ってアウトバーン115号に乗るが、このあたりはちょうどベルリンマラソンと同じルートだったようで、偶然ながら堪能できた。
後はアウトバーンを延々と走り、所々で休憩ついでに夜の街を眺めたりしながら帰宅。写真はドルトムントの市内。この辺りのアウトバーンは市街地の近くや、場合によっては地下を真っ直ぐ突っ切るので、立ち寄り旅行には便利かも(備忘録)。
4日半で2900kmほど走り、今回の旅行終了。(ナビをリセットするまで130kmほど走ってたので)。
朝はヴェリチカ岩塩坑へ。朝9:30の見学ツアーを予約したので早起きして現地に向かうが、週末の朝なので渋滞もなく、30分少々で余裕をもって到着。周りには客引きしている駐車場がたくさんあり、場所によって結構値段が違うので注意です。(ご参考)
さすがにユネスコ世界遺産第1号だけあり、朝9時とはいえ入場門前は賑やか。我々は予約した英語ツアーに並んで、予定時刻にいざ入場。最初は階段で60mほど垂直に下に降りる。一番下は300m位まで続いているそうで、全然地面が見えないのはスリリング。
見学はこのレベル1からスタート。最下層はレベル9まであるが、見学はレベル3まで。ガイドさん自身も下には行ったことがないとのこと。
枝分かれする坑道を少しずつ進んでいくと、所々に見事な岩塩の彫像がある。
当時の採掘シーンを再現した人形も並んでいる。岩塩を掘ってトロッコで運んでいたそうだが、ちょっとかわいそうなのは馬たち。地下までロープで下ろすので、一度入ったら二度と出られなかったそうだ。
所々に広がる空間は木材で補強してある。結構な量を使っているので、崩落を防ぐのも相当大変な作業なんだろう。こういった場所にある階段で少しづつ深い場所に降りていくが、当時はもちろんこんな綺麗な階段もなかったそうだ。
地下3階にある大聖堂。壁画もシャンデリアも全て岩塩で、見事な出来栄え。
かなり精巧だが、よく見ると少し下手なのが微笑ましい。半分芸術家、半分坑夫くらいの人が作ってた?
地下にはガスや水が湧く場所があるが、ここは水を止められず水没してしまった場所。この先にも多くの坑夫達がいたため、この岩塩坑で最大の犠牲を出した事件になった。(高濃度の塩水なので泳いで帰ることも不可能だそう)。
最後は160mの地下からエレベータで地上に上がって終了。さすがにユネスコ第1号だけあって見事に整備されていたが、一方でギリギリ俗っぽくなり過ぎないレベルで楽しめた。
ヴェリチカを後にしたら高速道路に乗ってドイツ方面に一気に移動開始。クラクフ周辺の高速道路は有料なので所々に料金所があるが、ETCもあるのにガッチリ渋滞するのが微笑ましい。
高速道路の制限速度は140km/hという珍しい設定で他国より高めだが、国土が広く平らなので高速走行は楽。連れに運転を任せて車窓見学を楽しむ。周りに広がる畑の農作物も殆どウォッカになるのかなぁ、なんて。
通り道なのでまたボレショワビエツに立ち寄る。
閉店まで1時間ほど。連れが満足するまで周りを散歩したり、読書したり。
ほんの少し遠回りだが、夕食はベルリンに立ち寄ることに。アウトバーンで市内に入ると毎回出迎えてくれる小熊像に日没前にご挨拶。また他の欧州の都市と違う、どこかアメリカ東海岸を彷彿とさせる光景を眺めつつ、目的地を目指す。
今回のお目当は匠ラーメンのベルリン支店。場所はベルリン中心街から少し北に行った場所で、少しゴミゴミしたところだが、探せば路駐場所も見つけられる場所。ラーメンは自分好みと少し違ったが、とにかくお腹一杯。ごちそうさまでした。
後はもう少しベルリンの街を車窓見学。ライトアップされた建物を眺めながらブラブラ走る。
赤の市庁舎。
フランス大聖堂。
ベルリン中心部を時計周りにぐるっと回ったが、どこを見ても立派な建物ばかりで、これは車窓見学にうってつけの街だと思う。この後ポツダム広場、カイザーウィルヘルム教会を通ってアウトバーン115号に乗るが、このあたりはちょうどベルリンマラソンと同じルートだったようで、偶然ながら堪能できた。
後はアウトバーンを延々と走り、所々で休憩ついでに夜の街を眺めたりしながら帰宅。写真はドルトムントの市内。この辺りのアウトバーンは市街地の近くや、場合によっては地下を真っ直ぐ突っ切るので、立ち寄り旅行には便利かも(備忘録)。
4日半で2900kmほど走り、今回の旅行終了。(ナビをリセットするまで130kmほど走ってたので)。
Poland-Germany3日目 [旅行]
旅行3日目は唯一のんびりできる日。ゆっくり朝食を楽しんだ後、クラクフ市内見物へ。
夜は冷え込んでいたが、日が差し始めると一気に暑くなる、相変わらずの内陸性気候。半袖を着てくれば良かったと後悔しつつ、再開発中の新市街を数分歩いて、旧市街の北口に当たるバルバカンに到着。この砦の外側はどんどん再開発が進んでるようだが、砦は15年前と同じ姿で出迎えてくれた。
旧市街の中も記憶通りの眺めで懐かしい。
クラクフ市内にもボレショワビエツ食器店がいくつかあり、連れに付き合ってウロウロ。セレクトされた食器はさすがに良いものが並んでいたが、価格は倍以上。結局眺めるだけで歩き続け、中央広場まで到着。午前中だが既に多くの観光客が集まっていて、さすがはポーランドの京都だ。
今回はそのまま街を南端まで突っ切り、バベル城まで歩く。前回訪問し損ねていたので是非と思ったが、本当に暑くて大変。
城は小高い場所にあるが、城門を入ると広く立派な広場が広がっていた。
この広場を囲んで城と教会が並ぶ。建物の中はお土産物やカフェに改装され、とても雰囲気の良い広場だ。
ひとしきり景色を楽しんだ後、民族衣装のストリートミュージシャンと記念撮影などして、また旧市街に戻る。欧州の街はどこも古いものを大切にしているが、やはり復元した街と元からある街では深みが違う気がする。
中央広場周辺ではドイツ人らしき団体で数人、背中のリュックの口を開けたまま歩いているお年寄りが。一人は声を掛けてあげたら大変感謝してくれたが、もう一人は何かが無くなったようなことを言ってガイドさんと相談していた。挙動の怪しい女二人組が周りにいたので、もっと早く気づいてあげられればと残念。
ホテルに戻って半袖に着替え、午後からはアウシュビッツ見学へ。昔に比べると高速道路もきれいに整備され、クラクフからは一時間少々で到着。唯一の公認日本人ガイド、中谷さんとも無事合流し、いざ入場。
有名な「働けば自由になれる」の門。
見張り台や電流鉄線は有るものの、恐れていたほど気持ち悪くなる光景が有る訳でもなく、むしろ大学の敷地内のように綺麗な光景で驚く。
中谷さんの説明は非常に分かりやすかった。アウシュビッツを単なる過去の事件とか、狂気と片付けず、今の我々が世界について考えなければならない事と結びつけた説明が、観光ガイドではなく研究員なんだなと思わせる。初めは街角のヘイトスピーチから始まったユダヤ人差別がポピュリズム政治により法律で肯定され、肯定されれば皆んなそれが正しいと思って粛々と差別を拡大していく。気がついたら殺しても良いことになり、組織として粛々と「処分」する施設までできてしまう。なのに、「俺は国民投票に従って法律を作っただけ」、「俺は法律通りに人を処分しただけ」で、全員が「俺には止められなかった」と言う。
今でも日本を含む世界のいろんな場所でその芽が育っていることを考えると、歴史を学ぶことの重要性を再認識させられた。
収容所の景色に狂気を感じなかったのは、そんな事が理由なんだと思う。みんな正気で、業務手順(?)に従って淡々と人を処分していただけ。だから施設の設計は普通の会社や大学と同じだし、通路には並木まで植えられて、きっと今の会社員と同じような日常を送っていたんだろう。
この後はシャトルバスに乗ってビルナケウ第2収容所へ。
広大な敷地内に収容小屋が無数に並ぶが、ここに住めた人はむしろ幸せだったそう。労働力になる人間を選別したあと、女性や子供を主とする7割は到着と同時にガス室送りだったそうだ。なので、中谷さんに言わせると、収容小屋ではなくドイツ軍が敗走直前に破壊したガス室跡こそ着目してもらいたいとの事。
想像以上に学びの多い見学だった。近くに行かれる方は是非、中谷さんのガイドで訪れる事をお勧めします。
夜は再度、クラクフの街へ。
いつも通りステーキに惹かれるが、今回はせっかくなのでポーランド伝統料理店に入店。
自分の前菜はボルシチ。ビーツ大根の土臭い香りと酸味が効いた透明な赤いスープに水餃子入り。日本のビーフシチューっぽいトロトロボルシチとも、フィンランドあたりの肉野菜たっぷりボルシチとも違う、初めて食べる味。悪くないが大量には要らない、という味わい。
連れの前菜はタルタル。やっぱり東欧のタルタルはピクルスなど少なめで、肉を味わう趣向らしい。塩胡椒を追加しながら食べる。
メインは名物のゴウォンブキ。肉と米が入ったボリューム満点のロールキャベツに甘いトマトソースをかけたもので、すごく美味しい訳ではないが、不味いはずがない、という味。
連れも名物のピエロギ。いわゆる焼き餃子で、中身は肉と野菜なのだが、不思議と中華春巻きの味がした。自分はこれが一番美味しかったと思う。
食後はコーヒーとウォッカで締め。レモンウォッカは初めて飲んだが、これが甘酸っぱくてとても美味しかった。リモンチェロより自分好み。
ということで、帰り道で早速ミニボトルを購入。レストランで飲んだものは果肉入りだったが、あれは後入れだったのかもしれない。ただ、味は市販品でも非常に美味しかった。次見つけたらまた買おう。
クラクフ、夜は若干治安が怪しそうだったが、良い街だったと思う。
夜は冷え込んでいたが、日が差し始めると一気に暑くなる、相変わらずの内陸性気候。半袖を着てくれば良かったと後悔しつつ、再開発中の新市街を数分歩いて、旧市街の北口に当たるバルバカンに到着。この砦の外側はどんどん再開発が進んでるようだが、砦は15年前と同じ姿で出迎えてくれた。
旧市街の中も記憶通りの眺めで懐かしい。
クラクフ市内にもボレショワビエツ食器店がいくつかあり、連れに付き合ってウロウロ。セレクトされた食器はさすがに良いものが並んでいたが、価格は倍以上。結局眺めるだけで歩き続け、中央広場まで到着。午前中だが既に多くの観光客が集まっていて、さすがはポーランドの京都だ。
今回はそのまま街を南端まで突っ切り、バベル城まで歩く。前回訪問し損ねていたので是非と思ったが、本当に暑くて大変。
城は小高い場所にあるが、城門を入ると広く立派な広場が広がっていた。
この広場を囲んで城と教会が並ぶ。建物の中はお土産物やカフェに改装され、とても雰囲気の良い広場だ。
ひとしきり景色を楽しんだ後、民族衣装のストリートミュージシャンと記念撮影などして、また旧市街に戻る。欧州の街はどこも古いものを大切にしているが、やはり復元した街と元からある街では深みが違う気がする。
中央広場周辺ではドイツ人らしき団体で数人、背中のリュックの口を開けたまま歩いているお年寄りが。一人は声を掛けてあげたら大変感謝してくれたが、もう一人は何かが無くなったようなことを言ってガイドさんと相談していた。挙動の怪しい女二人組が周りにいたので、もっと早く気づいてあげられればと残念。
ホテルに戻って半袖に着替え、午後からはアウシュビッツ見学へ。昔に比べると高速道路もきれいに整備され、クラクフからは一時間少々で到着。唯一の公認日本人ガイド、中谷さんとも無事合流し、いざ入場。
有名な「働けば自由になれる」の門。
見張り台や電流鉄線は有るものの、恐れていたほど気持ち悪くなる光景が有る訳でもなく、むしろ大学の敷地内のように綺麗な光景で驚く。
中谷さんの説明は非常に分かりやすかった。アウシュビッツを単なる過去の事件とか、狂気と片付けず、今の我々が世界について考えなければならない事と結びつけた説明が、観光ガイドではなく研究員なんだなと思わせる。初めは街角のヘイトスピーチから始まったユダヤ人差別がポピュリズム政治により法律で肯定され、肯定されれば皆んなそれが正しいと思って粛々と差別を拡大していく。気がついたら殺しても良いことになり、組織として粛々と「処分」する施設までできてしまう。なのに、「俺は国民投票に従って法律を作っただけ」、「俺は法律通りに人を処分しただけ」で、全員が「俺には止められなかった」と言う。
今でも日本を含む世界のいろんな場所でその芽が育っていることを考えると、歴史を学ぶことの重要性を再認識させられた。
収容所の景色に狂気を感じなかったのは、そんな事が理由なんだと思う。みんな正気で、業務手順(?)に従って淡々と人を処分していただけ。だから施設の設計は普通の会社や大学と同じだし、通路には並木まで植えられて、きっと今の会社員と同じような日常を送っていたんだろう。
この後はシャトルバスに乗ってビルナケウ第2収容所へ。
広大な敷地内に収容小屋が無数に並ぶが、ここに住めた人はむしろ幸せだったそう。労働力になる人間を選別したあと、女性や子供を主とする7割は到着と同時にガス室送りだったそうだ。なので、中谷さんに言わせると、収容小屋ではなくドイツ軍が敗走直前に破壊したガス室跡こそ着目してもらいたいとの事。
想像以上に学びの多い見学だった。近くに行かれる方は是非、中谷さんのガイドで訪れる事をお勧めします。
夜は再度、クラクフの街へ。
いつも通りステーキに惹かれるが、今回はせっかくなのでポーランド伝統料理店に入店。
自分の前菜はボルシチ。ビーツ大根の土臭い香りと酸味が効いた透明な赤いスープに水餃子入り。日本のビーフシチューっぽいトロトロボルシチとも、フィンランドあたりの肉野菜たっぷりボルシチとも違う、初めて食べる味。悪くないが大量には要らない、という味わい。
連れの前菜はタルタル。やっぱり東欧のタルタルはピクルスなど少なめで、肉を味わう趣向らしい。塩胡椒を追加しながら食べる。
メインは名物のゴウォンブキ。肉と米が入ったボリューム満点のロールキャベツに甘いトマトソースをかけたもので、すごく美味しい訳ではないが、不味いはずがない、という味。
連れも名物のピエロギ。いわゆる焼き餃子で、中身は肉と野菜なのだが、不思議と中華春巻きの味がした。自分はこれが一番美味しかったと思う。
食後はコーヒーとウォッカで締め。レモンウォッカは初めて飲んだが、これが甘酸っぱくてとても美味しかった。リモンチェロより自分好み。
ということで、帰り道で早速ミニボトルを購入。レストランで飲んだものは果肉入りだったが、あれは後入れだったのかもしれない。ただ、味は市販品でも非常に美味しかった。次見つけたらまた買おう。
クラクフ、夜は若干治安が怪しそうだったが、良い街だったと思う。
Poland-Germany2日目 [旅行]
2日目はノンビリ起きて(寝坊して?)、ボレショワビエツまでのドライブ。
ライプチヒ駅は欧州最大級のターミナル駅だと聞いたことがあったのに、見学する時間がなくて残念。目の前を走っていたら確かに巨大で、フランクフルト中央駅のように立派な建物が3つくらい連なっていて、確かに立派だ。
旧東ドイツの街らしくアウトバーン入り口まで延々下道を走り、アウトバーンに乗ってからさらに2時間。見慣れたポーランド国境到着。
国境周辺は低い速度に制限に設定されていることが多いが、ここは80km/hだった。そして良く見るとネズミ捕りが隠れていた。今回は写真撮影のために速度を下げていたので全然OKだったが、速度無制限からこれは荒稼ぎなんでは?(備忘録)
さらに1時間ほど走ってボレショワビエツの町に到着。今回は行ったことの無い店も覗いてみる。ここは大分辺鄙な場所。
その後はいつもの店を数件見て回る。
自分は途中で飽きて、いつものカウフランドで酒売り場を物色。前回買って美味しかったポーランドウォッカDebowaがWalnut樽熟成バージョンを出していたので購入。売り場の最高級ランクで59.99ズウォティ(約1800円)だが、これもきっと美味しいに違い無い。
一緒に買ったのはポーランド外でも買えるZubrowkaだが、PedySosny、LiscieKlonu、およびKoraDebuという何味なのか全く分からない派生バージョンが出ていたので一通り購入。ウォッカは本当に安くて200mlで350円相当なので、興味本位で買えるのが嬉しい。
後はポーランドのメジャービールZywiecが限定版を出していたので、これも一通り購入。90〜120円くらい。
同じく地元ビールのOkocim。こちらはすべて80円相当。
ツレも買い物に満足したところで、本日の宿泊地Krakowへ。もともと夜到着の予定だったが、事故渋滞などで22時過ぎの到着になった。ホテルは駅前のメルキュールで、こちらも現在再開発している地区らしく、出来たばかりのピカピカのホテル。前回来たのは15年くらい前だが、その頃はこんな街並みは全く無かったので、ちょっと驚きだ。
電話で到着が遅い旨を伝えておいたが、レセプションで出迎えてくれたのは電話を受けてくれたお兄ちゃんだった。ポーランド民族衣装を着た笑顔の好青年で、またアコーブランドの信頼度アップ。
夕飯はホテル内のレストラン、ワインストーン。ブカレストのメルキュールも同名のレストランが入っていたが、ここも安心の味だった。
ポーランドのスープ、ジューレックと、スパニュッシュプレート。普通に美味しいが、値段の割に量が多くて驚く。
ツレのエビタリアテッレ。生パスタだった。
自分はポーランドビーフのドライエイジドテンダーロイン。完全な赤身で大好きなタイプではないが、柔らかくて、ドミソースも合ってて良かった。
気がついたら夜まで何も食べてない一日だったが、これだけ食べれば十分。しっかり満足して2日目終了。
ライプチヒ駅は欧州最大級のターミナル駅だと聞いたことがあったのに、見学する時間がなくて残念。目の前を走っていたら確かに巨大で、フランクフルト中央駅のように立派な建物が3つくらい連なっていて、確かに立派だ。
旧東ドイツの街らしくアウトバーン入り口まで延々下道を走り、アウトバーンに乗ってからさらに2時間。見慣れたポーランド国境到着。
国境周辺は低い速度に制限に設定されていることが多いが、ここは80km/hだった。そして良く見るとネズミ捕りが隠れていた。今回は写真撮影のために速度を下げていたので全然OKだったが、速度無制限からこれは荒稼ぎなんでは?(備忘録)
さらに1時間ほど走ってボレショワビエツの町に到着。今回は行ったことの無い店も覗いてみる。ここは大分辺鄙な場所。
その後はいつもの店を数件見て回る。
自分は途中で飽きて、いつものカウフランドで酒売り場を物色。前回買って美味しかったポーランドウォッカDebowaがWalnut樽熟成バージョンを出していたので購入。売り場の最高級ランクで59.99ズウォティ(約1800円)だが、これもきっと美味しいに違い無い。
一緒に買ったのはポーランド外でも買えるZubrowkaだが、PedySosny、LiscieKlonu、およびKoraDebuという何味なのか全く分からない派生バージョンが出ていたので一通り購入。ウォッカは本当に安くて200mlで350円相当なので、興味本位で買えるのが嬉しい。
後はポーランドのメジャービールZywiecが限定版を出していたので、これも一通り購入。90〜120円くらい。
同じく地元ビールのOkocim。こちらはすべて80円相当。
ツレも買い物に満足したところで、本日の宿泊地Krakowへ。もともと夜到着の予定だったが、事故渋滞などで22時過ぎの到着になった。ホテルは駅前のメルキュールで、こちらも現在再開発している地区らしく、出来たばかりのピカピカのホテル。前回来たのは15年くらい前だが、その頃はこんな街並みは全く無かったので、ちょっと驚きだ。
電話で到着が遅い旨を伝えておいたが、レセプションで出迎えてくれたのは電話を受けてくれたお兄ちゃんだった。ポーランド民族衣装を着た笑顔の好青年で、またアコーブランドの信頼度アップ。
夕飯はホテル内のレストラン、ワインストーン。ブカレストのメルキュールも同名のレストランが入っていたが、ここも安心の味だった。
ポーランドのスープ、ジューレックと、スパニュッシュプレート。普通に美味しいが、値段の割に量が多くて驚く。
ツレのエビタリアテッレ。生パスタだった。
自分はポーランドビーフのドライエイジドテンダーロイン。完全な赤身で大好きなタイプではないが、柔らかくて、ドミソースも合ってて良かった。
気がついたら夜まで何も食べてない一日だったが、これだけ食べれば十分。しっかり満足して2日目終了。
Poland-Germany1日目 [旅行]
ツレの食器買い出しに付き合って何度も通ったポーランドだが、今年も涼しくなり、また買い出しツアーの季節になった。今回は観光も絡め、少しゆっくり回ることに。
1日目は半日仕事してから出発ということで、旧東ドイツのライプチヒまで移動するだけ。昨年宿泊したHalleより少し東の結構大きめな街だが、21時過ぎに到着するとやはり寒々しさを感じさせる街並み。やっぱり東側という感じ。
予約したアイビスは駅前で、再開発地域らしくピカピカのショッピングモールの一角を成す場所。寒々しい街並みと味気無いビルの組み合わせもやっぱり旧東側っぽい。とは言え、さすが安心のアコーブランド。手際よくチェックインを済ませてもらい、夕飯探しのためにマルクトプラッツへ向かう。
街一番の由緒ある酒場だという、アウアーバッハスケラー。パッサージュの地下。
店内はそれなりに賑やかでひと安心。こうじゃないと旅気分にならない。キリンビールにそっくりな味の自家製ビールで乾杯。(ひょっとしてこの辺りがルーツ?)
折角なのでザクセン料理を楽しむことにして、自分は牛ほほ肉のワイン煮込み。日本のビーフシチューよりスッキリしたワイン煮込みだが、ブロッコリーなどの茹で野菜がたっぷりで健康的な気がする。
ツレのポークメダリオンはドイツ料理にしては小ぶりな豚肉だったが、その下のジャガイモが巨大で、やはり食べきれず。
遅い時間だったのでメイン一皿だけにしたが、ドイツらしく十分お腹いっぱいになって終了。食後は静かな街を少し散歩してホテルに戻る。
バッハが楽隊の指揮をしていたトーマス教会。
そのお隣の洒落た建物。
マルクト広場に戻ってきた。
当然閉店してるカフェと、何故こんな堂々と飾ってあるのか不思議なカッコ悪いライオン像。
由緒あるのか最近頑張って飾ったのか不明ながら、凝った建物。
といったプチ観光だけで1日目終了。
1日目は半日仕事してから出発ということで、旧東ドイツのライプチヒまで移動するだけ。昨年宿泊したHalleより少し東の結構大きめな街だが、21時過ぎに到着するとやはり寒々しさを感じさせる街並み。やっぱり東側という感じ。
予約したアイビスは駅前で、再開発地域らしくピカピカのショッピングモールの一角を成す場所。寒々しい街並みと味気無いビルの組み合わせもやっぱり旧東側っぽい。とは言え、さすが安心のアコーブランド。手際よくチェックインを済ませてもらい、夕飯探しのためにマルクトプラッツへ向かう。
街一番の由緒ある酒場だという、アウアーバッハスケラー。パッサージュの地下。
店内はそれなりに賑やかでひと安心。こうじゃないと旅気分にならない。キリンビールにそっくりな味の自家製ビールで乾杯。(ひょっとしてこの辺りがルーツ?)
折角なのでザクセン料理を楽しむことにして、自分は牛ほほ肉のワイン煮込み。日本のビーフシチューよりスッキリしたワイン煮込みだが、ブロッコリーなどの茹で野菜がたっぷりで健康的な気がする。
ツレのポークメダリオンはドイツ料理にしては小ぶりな豚肉だったが、その下のジャガイモが巨大で、やはり食べきれず。
遅い時間だったのでメイン一皿だけにしたが、ドイツらしく十分お腹いっぱいになって終了。食後は静かな街を少し散歩してホテルに戻る。
バッハが楽隊の指揮をしていたトーマス教会。
そのお隣の洒落た建物。
マルクト広場に戻ってきた。
当然閉店してるカフェと、何故こんな堂々と飾ってあるのか不思議なカッコ悪いライオン像。
由緒あるのか最近頑張って飾ったのか不明ながら、凝った建物。
といったプチ観光だけで1日目終了。
Hoegaarden [旅行]
Brusselsから30分少々の場所にあるヒューガルデン村へ。ベルギービールはドラフトが美味しいとは限らないが、日本で飲んだヒューガルデンのドラフトは美味しかった覚えがある。本当の蔵元で飲んだらどうなんだろうという興味本位。
この日は妙な天気で、急にバケツをひっくり返したような雨が降る。先ずはHoegaarden村の中心広場を見に行くが、雨でゆっくり見られず残念。
週末のヒューガルデン醸造所は静かにひっそりとしていて、小さなバーだけが営業中だった。
白ビール到着。やっぱり白ビールは出来立てだと少し美味しいかも知れない。満足。
しかしそれ以上にツマミが美味しかった。7euroくらいのサラミ&チーズ盛り合わせは山盛りで食べきれず。3euroくらいのフリッツもちゃんとしたベルジャンフリッツでgoodだった。
観光施設のようで、それほど割高感も無いし、また来ても良いかも。(二人で飲めないのが残念だけど。)
この日は妙な天気で、急にバケツをひっくり返したような雨が降る。先ずはHoegaarden村の中心広場を見に行くが、雨でゆっくり見られず残念。
週末のヒューガルデン醸造所は静かにひっそりとしていて、小さなバーだけが営業中だった。
白ビール到着。やっぱり白ビールは出来立てだと少し美味しいかも知れない。満足。
しかしそれ以上にツマミが美味しかった。7euroくらいのサラミ&チーズ盛り合わせは山盛りで食べきれず。3euroくらいのフリッツもちゃんとしたベルジャンフリッツでgoodだった。
観光施設のようで、それほど割高感も無いし、また来ても良いかも。(二人で飲めないのが残念だけど。)
Montenegro7−8日目 [旅行]
最終日となる7日目は体調もだいぶ復活したが、無理せずのんびり過ごすことにする。日中はルーフバーで読書。バーのお姉さんはセルビアから夏の間だけ期間従業員として来てるそうで、ホテルのスタッフは殆ど同じような感じだそうだ。兄弟はスウェーデンで働いていて、将来の保障を考えるとそちらの方が良いかななどと考えているそうで、日本人より相当視野が広いと感心する。
アッという間に夕方になり、最後のディナーは外のレストランで楽しむべく外出。まだビーチで粘る人やら、ちらほらと明かりが灯りつつあるバーなど、相変わらず賑やかな遊歩道をおみやげを物色しながらペトロバック砦の方角に向かう。
目を付けていた砦近くのシーフードレストラン、La Cantinaに入店。氷入りロゼを楽しみつつ、前菜はブイヤベース2人前を注文。実は本格的なブイヤベースを食べたことがないけれど、これはフランス辺りで食べようなトマト味のフィッシュスープにエビやイカが入った感じ。強烈な磯臭さを期待していたが、ちょっとお上品な感じ。
メインはパエリヤで、これも2人前。これもお上品で、シーフードリゾットという感じ。海の目の前とはいえ、入ってるエビや貝は地元産ではないのかも。地魚を焼いてもらった方が美味しかったのかも。。。
若干不完全燃焼だったので、夕日を眺めながら食後酒を楽しむべく、先日使った雰囲気の良いバーに移動。
自分はビーチリゾートっぽいカクテルで締め。連れはチーズケーキとネスカフェ。ホットコーヒーがグラスで出てきて驚くが、これがモンテネグロ流のオシャレってことか?
明日はいよいよ帰国日。夜明け前起床なので、日暮れを見届けたところで7日目終了。
一週間お世話になったホテルとミニマーケット。不安混じりから始まったが、最終的には帰るのが寂しく思えるほど満喫できて良かった。
ーーー
8日目は朝9時のフライトのためにホテルを5時出発。ホテルのレセプションに各旅行会社の連絡メモが置いてあり、前日に各自出発時間を確認するシステムだったが、TUIのバスは無茶苦茶早くなっていてびっくりした。
予定通り5時に現れたバスに乗り込み、往路と同様、各ホテルでお客さんをピックアップしながら空港へ向かう。が、やはり空港到着は早く、6:30頃には到着。ブリュセル行きはまだチェックインが始まらず、空港内はまだモスクワ、ロンドン、テルアビブ行きなど、前の便のチェックインで大混雑だった。仕方ないので外の新鮮な空気を浴びながらボーッと待つ。
チェックインが始まると戦争状態。グチャグチャになりながらチェックインからセキュリティチェックまで済ませ、ようやく搭乗待合室へ。ここからは搭乗時間になる度にお客さんが飛行機まで歩いていくという、のどかな光景に戻る。
我々の搭乗時刻。飛行機まで結構な距離を歩く。結構楽しい。
さよならモンテネグロ、さよならアドリア海。またいつか来るよ。ブリュッセル到着はお昼時なので、着いたらラーメン屋に直行だななどと考えつつ、夏休みの旅行を終了。
アッという間に夕方になり、最後のディナーは外のレストランで楽しむべく外出。まだビーチで粘る人やら、ちらほらと明かりが灯りつつあるバーなど、相変わらず賑やかな遊歩道をおみやげを物色しながらペトロバック砦の方角に向かう。
目を付けていた砦近くのシーフードレストラン、La Cantinaに入店。氷入りロゼを楽しみつつ、前菜はブイヤベース2人前を注文。実は本格的なブイヤベースを食べたことがないけれど、これはフランス辺りで食べようなトマト味のフィッシュスープにエビやイカが入った感じ。強烈な磯臭さを期待していたが、ちょっとお上品な感じ。
メインはパエリヤで、これも2人前。これもお上品で、シーフードリゾットという感じ。海の目の前とはいえ、入ってるエビや貝は地元産ではないのかも。地魚を焼いてもらった方が美味しかったのかも。。。
若干不完全燃焼だったので、夕日を眺めながら食後酒を楽しむべく、先日使った雰囲気の良いバーに移動。
自分はビーチリゾートっぽいカクテルで締め。連れはチーズケーキとネスカフェ。ホットコーヒーがグラスで出てきて驚くが、これがモンテネグロ流のオシャレってことか?
明日はいよいよ帰国日。夜明け前起床なので、日暮れを見届けたところで7日目終了。
一週間お世話になったホテルとミニマーケット。不安混じりから始まったが、最終的には帰るのが寂しく思えるほど満喫できて良かった。
ーーー
8日目は朝9時のフライトのためにホテルを5時出発。ホテルのレセプションに各旅行会社の連絡メモが置いてあり、前日に各自出発時間を確認するシステムだったが、TUIのバスは無茶苦茶早くなっていてびっくりした。
予定通り5時に現れたバスに乗り込み、往路と同様、各ホテルでお客さんをピックアップしながら空港へ向かう。が、やはり空港到着は早く、6:30頃には到着。ブリュセル行きはまだチェックインが始まらず、空港内はまだモスクワ、ロンドン、テルアビブ行きなど、前の便のチェックインで大混雑だった。仕方ないので外の新鮮な空気を浴びながらボーッと待つ。
チェックインが始まると戦争状態。グチャグチャになりながらチェックインからセキュリティチェックまで済ませ、ようやく搭乗待合室へ。ここからは搭乗時間になる度にお客さんが飛行機まで歩いていくという、のどかな光景に戻る。
我々の搭乗時刻。飛行機まで結構な距離を歩く。結構楽しい。
さよならモンテネグロ、さよならアドリア海。またいつか来るよ。ブリュッセル到着はお昼時なので、着いたらラーメン屋に直行だななどと考えつつ、夏休みの旅行を終了。
Montenegro6日目 [旅行]
6日目は今回一番のロングイベント、Albaniaツアーへ。Nika Andusa通りの小さなツアーオフィスで見つけた朝6時集合、22時過ぎ解散というハードなものだが、昨日の海で熱中症になったのか、軽い食あたりなのか、残念ながら当日は朝から体調不良。悩んだ挙句、「ダメなら引き返そう」で出発。
集合場所にバスが現れ一安心。一日ツアーで25euroという格安価格を考えれば当然だが、小型バスで座席は満員。最初連れと別の席になったが、幸い単身参加のオッちゃんとオバちゃんがいたので交渉し、無事に並びの席を確保。
道中の町々は早朝から観光客で賑やかで、本当に観光立国という感じ。街に入るたびにノロノロになりながら、アルバニア国境を目指してゆっくりゆっくり南に向かう。
アルバニアは1990年ごろまで鎖国していたという不思議な国なので、モンテネグロからもまともな道が無いらしい。途中から山道になり、なるほど大型バスじゃ行けない訳だ。
途中に休憩が有ったとは言え、アルバニア国境までの60km程度に2時間近く掛かった。そして国境渋滞でまた1時間くらいノロノロ。道端には果物を並べた露店商が盛んに手を振っている。個人旅行しているときは「こんな所で売れるの?」と思っていたが、バスのお客さんは次々に買い込んで車内で食べ出す。こんなに売れるんだ、新発見。。。
ようやく国境。
パスポートを準備していたのに、バスは空いてたレーンを通って短時間で通過。チェックも入国スタンプも無くて、これじゃ万が一の時は「不法入国」になるんでは無いかと心配になる。バスの運ちゃんが係に何か渡したのでグレーな物を感じるが、まあ見なかったことにしよう。
アルバニアの風景は少し貧乏っぽいが、思ったほど異世界ではなかった。
国境からすぐ、最初の目的地シュコダルの街に到着。シュコダル湖とボヤナ川に面する地理条件から、昔から要塞都市として栄えたそうで、アルバニア最古の街だという。川を見下ろすロザファ城はその遺跡らしいが、今回はそちらをパスして市内に向かう。
大渋滞にはまりつつ市内に入ると、モスクが見え始めた。共産党時代には宗教が禁止されていたが、解放後は徐々に宗教も復興している様子。この街もベネチアやオスマンに翻弄されてきたそうで、キリスト教文化とイスラム教文化が入り乱れてるようだが、どちらかというとイスラム寄りに思える。街全体の雰囲気も道端の露天など、中東っぽい。
バスはXhamia e Madheモスク前のバスターミナルに停車し、炎天下のなかガイドツアーを開始。英語対応のツアーだったけれど、殆どスラブ系のお客さんだったようで、スラブ語の長い説明の後に少し英語を付け加えてくれる感じ。体調不良が辛いので列の最後から付いていく。
街のメインストリートKolë Idromenoで自由時間になる。30euroだけ現地通貨のレクに両替し、少しお土産を眺めた後はカフェに逃げ込む。
砂糖たっぷりのレモンティで少し元気になってバスに戻る。ここから第2目的地のDurresまで3時間の車窓観光。鎖国してた位だから相当不思議な光景が見られると思いきや、意外と普通(?)な光景。細切れながらも高速道路まで出来始めていた。
ドゥレスに到着。ここはイタリアとバルカン半島を結ぶ港で、つまりはローマとオスマンをつなぐ交通の要衝だった場所で、その昔はシーザーとポンペイウスの戦いもここで起きたという、アルバニアの最重要港湾だそうだ。バスが停まるとまたガイドさんが、炎天下をローマ遺跡まで案内してくれる。
英語客は我々ともう一組しか居なかったが、スラブ語の説明の後に全て繰り返してくれる。とても有り難いが、長くて辛かった。。。。説明が終わったらすぐカフェに逃げさせてもらう。
海沿いに洒落たカフェを見つけて入店。旧共産圏は何処でも特権階級用らしき店があるが、ここもそれらしきマダムがちらほら。本当はもう少し「その街らしい」観光をしたかったが、体調不良は仕方ない。涼しく休みつつ街の景色を眺めさせていただく。
夕方16時、いよいよ最終目的地の首都ティラーナに向けて出発。30分ほどで首都圏に到着し、国旗にもなっている国の守り神、ワシの紋章がお出迎え。
と思いきや、市内はまた猛烈な渋滞。インフラも弱いんだろうが、発展途上国に共通する自由奔放すぎるドライバー達(路駐したり、割り込んだり)が大きな原因になっていそう。
とはいえ、バスの旅なのでのんびり車窓観光を楽しむのみ。これは大統領官邸だそう。
市内中心のスカンデルベルグ広場付近にバス停車。ガイドさんの案内で先にレストランへ。少し体調が戻ったのでスープだけ頂く。連れはシーフードパスタだけ。地物のワインなど楽しめなくて残念だった。バスの席を交代してくれたオッチャンは、我々のおかげで隣席になった女性(同じく単身参加だった様子)と一緒にディナーを楽しんでいた。恋に発展するかと少し興味津々で観察するも、お二人ともそれほど社交的じゃないようで残念。
食後に観光開始。先ずは立派な正教会。共産党独裁終了後に再興されたようで、立派だが真新しい。
スカンデルベルグ広場。地面から湧き出した水で広場を濡らす面白いシステムで、夕涼みにはちょうど良さそう。地元のお年寄りに混じって我々も夕涼み。
広場の奥にあるのが一番由緒あるジャミーア・エトヘム・ベウトと呼ばれるイスラム寺院。これだけは文化価値が高すぎて、共産党も破壊できなかったそうだ。
もう少し市内を見て回るが、土産物などはあまり見当たらず。やはり体調が万全でないので、最後は公園でのんびり。
19時頃、いよいよティラーナ観光終了し、小型バスに戻る。これからまた4時間くらいの長距離ドライブだが、ドライバーさんはタフだ。
夕暮れとともにティラーナにお別れ。
アルバニア出国前に小さい商店で休憩。5分間のトイレ休憩と言っていたが、みんなお土産買い込みに夢中になる。そのうち野菜やスイカを買い始める家族まで現れ、結局30分近い長時間休憩になった。皆んな本当にやりたい放題だが、みんな笑顔でバス再出発。この辺りが全く日本と違うと思う。
この後、モンテネグロ再入国も無事済ませ、23時にホテル帰着。体調万全だったらと悔やまれるが、いろんな意味で興味深いエクスカージョンだった。6日目終了。
集合場所にバスが現れ一安心。一日ツアーで25euroという格安価格を考えれば当然だが、小型バスで座席は満員。最初連れと別の席になったが、幸い単身参加のオッちゃんとオバちゃんがいたので交渉し、無事に並びの席を確保。
道中の町々は早朝から観光客で賑やかで、本当に観光立国という感じ。街に入るたびにノロノロになりながら、アルバニア国境を目指してゆっくりゆっくり南に向かう。
アルバニアは1990年ごろまで鎖国していたという不思議な国なので、モンテネグロからもまともな道が無いらしい。途中から山道になり、なるほど大型バスじゃ行けない訳だ。
途中に休憩が有ったとは言え、アルバニア国境までの60km程度に2時間近く掛かった。そして国境渋滞でまた1時間くらいノロノロ。道端には果物を並べた露店商が盛んに手を振っている。個人旅行しているときは「こんな所で売れるの?」と思っていたが、バスのお客さんは次々に買い込んで車内で食べ出す。こんなに売れるんだ、新発見。。。
ようやく国境。
パスポートを準備していたのに、バスは空いてたレーンを通って短時間で通過。チェックも入国スタンプも無くて、これじゃ万が一の時は「不法入国」になるんでは無いかと心配になる。バスの運ちゃんが係に何か渡したのでグレーな物を感じるが、まあ見なかったことにしよう。
アルバニアの風景は少し貧乏っぽいが、思ったほど異世界ではなかった。
国境からすぐ、最初の目的地シュコダルの街に到着。シュコダル湖とボヤナ川に面する地理条件から、昔から要塞都市として栄えたそうで、アルバニア最古の街だという。川を見下ろすロザファ城はその遺跡らしいが、今回はそちらをパスして市内に向かう。
大渋滞にはまりつつ市内に入ると、モスクが見え始めた。共産党時代には宗教が禁止されていたが、解放後は徐々に宗教も復興している様子。この街もベネチアやオスマンに翻弄されてきたそうで、キリスト教文化とイスラム教文化が入り乱れてるようだが、どちらかというとイスラム寄りに思える。街全体の雰囲気も道端の露天など、中東っぽい。
バスはXhamia e Madheモスク前のバスターミナルに停車し、炎天下のなかガイドツアーを開始。英語対応のツアーだったけれど、殆どスラブ系のお客さんだったようで、スラブ語の長い説明の後に少し英語を付け加えてくれる感じ。体調不良が辛いので列の最後から付いていく。
街のメインストリートKolë Idromenoで自由時間になる。30euroだけ現地通貨のレクに両替し、少しお土産を眺めた後はカフェに逃げ込む。
砂糖たっぷりのレモンティで少し元気になってバスに戻る。ここから第2目的地のDurresまで3時間の車窓観光。鎖国してた位だから相当不思議な光景が見られると思いきや、意外と普通(?)な光景。細切れながらも高速道路まで出来始めていた。
ドゥレスに到着。ここはイタリアとバルカン半島を結ぶ港で、つまりはローマとオスマンをつなぐ交通の要衝だった場所で、その昔はシーザーとポンペイウスの戦いもここで起きたという、アルバニアの最重要港湾だそうだ。バスが停まるとまたガイドさんが、炎天下をローマ遺跡まで案内してくれる。
英語客は我々ともう一組しか居なかったが、スラブ語の説明の後に全て繰り返してくれる。とても有り難いが、長くて辛かった。。。。説明が終わったらすぐカフェに逃げさせてもらう。
海沿いに洒落たカフェを見つけて入店。旧共産圏は何処でも特権階級用らしき店があるが、ここもそれらしきマダムがちらほら。本当はもう少し「その街らしい」観光をしたかったが、体調不良は仕方ない。涼しく休みつつ街の景色を眺めさせていただく。
夕方16時、いよいよ最終目的地の首都ティラーナに向けて出発。30分ほどで首都圏に到着し、国旗にもなっている国の守り神、ワシの紋章がお出迎え。
と思いきや、市内はまた猛烈な渋滞。インフラも弱いんだろうが、発展途上国に共通する自由奔放すぎるドライバー達(路駐したり、割り込んだり)が大きな原因になっていそう。
とはいえ、バスの旅なのでのんびり車窓観光を楽しむのみ。これは大統領官邸だそう。
市内中心のスカンデルベルグ広場付近にバス停車。ガイドさんの案内で先にレストランへ。少し体調が戻ったのでスープだけ頂く。連れはシーフードパスタだけ。地物のワインなど楽しめなくて残念だった。バスの席を交代してくれたオッチャンは、我々のおかげで隣席になった女性(同じく単身参加だった様子)と一緒にディナーを楽しんでいた。恋に発展するかと少し興味津々で観察するも、お二人ともそれほど社交的じゃないようで残念。
食後に観光開始。先ずは立派な正教会。共産党独裁終了後に再興されたようで、立派だが真新しい。
スカンデルベルグ広場。地面から湧き出した水で広場を濡らす面白いシステムで、夕涼みにはちょうど良さそう。地元のお年寄りに混じって我々も夕涼み。
広場の奥にあるのが一番由緒あるジャミーア・エトヘム・ベウトと呼ばれるイスラム寺院。これだけは文化価値が高すぎて、共産党も破壊できなかったそうだ。
もう少し市内を見て回るが、土産物などはあまり見当たらず。やはり体調が万全でないので、最後は公園でのんびり。
19時頃、いよいよティラーナ観光終了し、小型バスに戻る。これからまた4時間くらいの長距離ドライブだが、ドライバーさんはタフだ。
夕暮れとともにティラーナにお別れ。
アルバニア出国前に小さい商店で休憩。5分間のトイレ休憩と言っていたが、みんなお土産買い込みに夢中になる。そのうち野菜やスイカを買い始める家族まで現れ、結局30分近い長時間休憩になった。皆んな本当にやりたい放題だが、みんな笑顔でバス再出発。この辺りが全く日本と違うと思う。
この後、モンテネグロ再入国も無事済ませ、23時にホテル帰着。体調万全だったらと悔やまれるが、いろんな意味で興味深いエクスカージョンだった。6日目終了。
Montenegro5日目 [旅行]
5日目はまたビーチでのんびりする日。
前日にNika Andusa通りを散策した際に見つけたツアーボート屋で幾つかツアーを紹介してもらい、少し先の綺麗なビーチに送迎するだけというツアーを申し込む。
小さな港からモンテネグロスター号に乗って出発。
30分くらいで我々の目的地に到着。ビーチに真っ直ぐ乗り込み、舳先から下船する初めての体験。
小さいビーチながらシッカリしたサンベッド完備。殆ど外国人観光客向けなんだろうか、ちょっと旧共産圏の特権階級社会の気配を感じる。ただ、ビーチ自体は白い玉砂利で綺麗な場所。
今回はシュノーケリング道具も準備したので、海遊びが楽しい。
一部岩場には魚もたくさん集まっていて、一緒に泳げる。
風景は綺麗だし、ビールもおいしいし、バカンスの1日を十分堪能
ちなみに、隣の家族連れはボスニアから来ていると言っていた。英語が殆ど伝わらず、「先月観光に行ったよ」というメッセージが伝わらなかったのは残念だったが、日本人だと分かると何故かビールをおごってくれた。彼らも特権階級なんだろうと察するが、ともあれ草の根交流が成功(?)したようなので良しとしよう。
夕方の船でペトロバックに戻り、5日目終了。
前日にNika Andusa通りを散策した際に見つけたツアーボート屋で幾つかツアーを紹介してもらい、少し先の綺麗なビーチに送迎するだけというツアーを申し込む。
小さな港からモンテネグロスター号に乗って出発。
30分くらいで我々の目的地に到着。ビーチに真っ直ぐ乗り込み、舳先から下船する初めての体験。
小さいビーチながらシッカリしたサンベッド完備。殆ど外国人観光客向けなんだろうか、ちょっと旧共産圏の特権階級社会の気配を感じる。ただ、ビーチ自体は白い玉砂利で綺麗な場所。
今回はシュノーケリング道具も準備したので、海遊びが楽しい。
一部岩場には魚もたくさん集まっていて、一緒に泳げる。
風景は綺麗だし、ビールもおいしいし、バカンスの1日を十分堪能
ちなみに、隣の家族連れはボスニアから来ていると言っていた。英語が殆ど伝わらず、「先月観光に行ったよ」というメッセージが伝わらなかったのは残念だったが、日本人だと分かると何故かビールをおごってくれた。彼らも特権階級なんだろうと察するが、ともあれ草の根交流が成功(?)したようなので良しとしよう。
夕方の船でペトロバックに戻り、5日目終了。
Montenegro4日目 [旅行]
4日目はコトル湾へのエクスカージョン。昨日残念な勘違いをしたが、本日は予定どおり送迎バスがやってきたので一安心。
ペトロバック村は始発点で、ここから数カ所のホテルを回りつつ、Tivatに有るモンテネグロ港に向かう。(南から北へ。)
我々も毎日使ってるスーパーVOLIのロードサイド店。ドイツナンバー等、やはり沢山の外国人客が集まってる。一ヶ月もバカンスを取るなら自走で来た方が楽なんだろう。こういう所が羨ましい。
TIvat周辺の一般的な街並み。新しい家が多いのはユーゴ紛争のせいではなく、1979年の大地震が原因だそうだ。それまで農林業主体で点在していた家々が地震による倒壊を機に街道沿いに移転してきたそう。やっぱりガイド付きツアーは勉強になる。(忙しくなければ良いのだが)
モンテネグロ港到着。超近代的で若干バブリーな街並み。ギリシア辺りと同様、見たことのない国旗のクルーザーが沢山停泊中。恐らく中東やアフリカの王族だろうと想像。
日本人の作品?ネコ侍やネコ相撲などの像が並ぶ。
旧ユーゴスラビア軍事博物館もあった。目の前はユーゴ軍の潜水艦だそうだ。
コトル湾クルーズの船に乗り込むまで少し自由行動時間。我々は小洒落たバーで休憩。ジントニックのテイクアウトが出来るというので、それを貰って飲みながら出発。
集合場所にクルーズ船が見えないと思ったら想像以上に小さい「乗り合いボート」だったのはご愛敬。(写真手前はユーゴ海軍訓練船。ボートはその先。)
コトル湾は正確にはリアス海岸だがフィヨルドとも呼ばれるそう。波の無い静かな海が陸地深くまで入り込む様は確かに北欧のフィヨルドに似てる。
ボートで約1時間。最初の目的地、海上教会に到着。元々は小舟の上の小さな聖堂だったが、信者がせっせと石を運んで、こんな大きな島と聖堂になったらしい。
内部も気合が入っていて、見事な装飾。祭壇の他にも海にまつわる絵画が多く飾られていて、海難事故の恐ろしさと、神様がそれを守ってくれるという内容が多い。日本でも漁師町のお寺で類似のものを見かけるので、民族は違っても同じ人間だなと思う。
この後は対岸のPerastの町に上陸。この辺りは海軍の訓練施設もあったらしいが、町を見る限り、今はのどかな海辺の村という感じ。ここで自由時間。半数はビーチに向かったが、我々は少し散策してランチタイムにする。先ずは一番目立つ塔がある方角へ。
塔は聖ニコラ教会の鐘楼だった。まずは質素ながらきちんと手入れされている聖堂を見学し、お礼をした後はイザ鐘楼へ。
鐘楼は入口のおばちゃんに1ユーロ払って入場。「十分注意して」と言われた通り、数段に区切られた塔の中は区切りフロアごとに狭い穴を抜ける場所があって、登るのが結構大変。
最上階は鐘楼の鐘が有る場所だった。無事に登りきれたと思ったのに最後に鐘に頭をぶつけた。本当に危険な塔だった。。。
しかし眺めは素敵。アドリア海特有の碧い海の色。先ほど立ち寄った海上教会「Lady of the rocks」も綺麗に見える。
最初に通り抜けてきた海峡。あんなに狭いのに大型客船が通れるのだから、相当深いのだろう。
コトル湾の奥は名前通りコトルの街。大型客船の寄港地としても人気の場所だが、今日も船が来ているのが見える。
塔からの眺めを楽しんだ後はランチへ。暑い真昼でも日陰が涼しいのはいつも通り素晴らしいと思う。海が見える洒落たテラス席が有るレストランを見つけ、そこにテーブルを確保。
氷を貰ってブツけたおデコを冷やしつつ、ロゼワインで乾杯。この辺りはワインに氷を入れる習慣があるので、氷もワイン用だと思って普通に持ってきてくれたが、頭を冷やしだしたら「どうした、ぶつけたか、もっと冷やすか」と色々気を使ってくれる。この辺りの人は少し無愛想だけれど、実はすごく優しくて人好きな雰囲気を感じる。(優しいのに笑顔が苦手で冷たく見えるのは日本人に似てるかも。)
前菜はフィッシュスープと生ハム。ハムはご近所のクロアチア特産ダルマチアハムにそっくり。但し少し手を加えてスモークしてるそうで、なかなか美味。
連れのメインはシーフードリゾット。かなり美味しかったらしい。
自分はボンゴレパスタ。この辺りのボンゴレは殻が分厚く、日本のアサリとは雰囲気が違うが、味は大体一緒。ただ、味付けにお酢を使ってるそうで、普通にオリーブとガーリックだけで良いのにと思った。(ビネガー使ってるの?と聞いたら、「料理好きなのか!?味付けはあれやらこれやらで、酢も入れてるぞ」と長々と説明してくれた。どうやら気に入ったと勘違いされたみたいだが、それはそれでOK。。。)
食後はまたボートに乗ってコトルへ。街はすでに見えてるのに、結構遠くて驚く。1時間弱、周りの街を眺めつつの船旅。
コトルに着くと大型客船が3隻も停泊していた。旧ヴェネチア共和国のアドリア海沿岸要塞都市としてはドブロクニクが圧倒的人気だが、コトルも負けてない。
我々の小舟は旧市街西側の公園に到着し、徒歩で旧市街に向かう。旧市街は城壁で囲まれているので西側に入り口が無く、ここから東に回りこむしかない。
東側のゲート到着。正門らしく賑やか。山の上にまで続く城壁はまるで万里の長城みたい。
正門を入ると名所の一つ、時計塔の広場がお出迎え。さすがに世界遺産の街だけあって賑やか。日本人ツアーも数組来ていたのでちょっとばかり隣で説明を聞かせてもらったり。
城壁内の広さはドブロクニクの方が大きいが、街の古びた雰囲気はコトルの方が上に思う。小さい広場が迷路のような細い路地で繋がった作りは本家ヴェネチアに通じるところがある。
街一番の聖堂、トリプン大聖堂とその広場に出た。
トリプン大聖堂は上階から聖堂を見下ろせる場所があって、ウクライナ辺りの正教会に通じる作りに思えた。外にもテラスがあり、広場も見下ろせる。
入口の若者は我々が日本人だと分かると一生懸命日本語の単語を使ってくれたが、帰り際は「またね」だそうだ。モンテネグロだけではないが、欧州人は本当に語学に熱心だなと思う。今回のガイドさんもセルビア(モンテネグロ)語に英語、フランス語もイケるみたいだし、中流以上では2〜3ヶ国語以上が当たり前なんだろう。
相変わらず面倒くさがりなので、そろそろ休憩場所を探し始める。観光というより眺めの良いカフェ探しをしながらカランパナ広場へ。建物の背後にモンテネグロ(=黒い山)とそこに連なる城壁が見えたので記念撮影。
もう少し良い広場を探してサンニコラ広場へ。聖ニコラ教会が立派だったので見学して、ついでにお土産物色。ここのお兄ちゃんも良い人で、キリルの「サンニコラ」の読み方などを教えてくれた。
この後もう少しヴェネチア風迷路を彷徨う。
結局最初の時計台広場に戻ってきた。ここが一番広いし、賑やかだし、カフェに陣取るならこうでなければ。(我ながらミーハー)
この後はまたバスに1時間ほど揺られホテルに戻る。ホテルのルーフバーで飲み直して4日目終了。
ペトロバック村は始発点で、ここから数カ所のホテルを回りつつ、Tivatに有るモンテネグロ港に向かう。(南から北へ。)
我々も毎日使ってるスーパーVOLIのロードサイド店。ドイツナンバー等、やはり沢山の外国人客が集まってる。一ヶ月もバカンスを取るなら自走で来た方が楽なんだろう。こういう所が羨ましい。
TIvat周辺の一般的な街並み。新しい家が多いのはユーゴ紛争のせいではなく、1979年の大地震が原因だそうだ。それまで農林業主体で点在していた家々が地震による倒壊を機に街道沿いに移転してきたそう。やっぱりガイド付きツアーは勉強になる。(忙しくなければ良いのだが)
モンテネグロ港到着。超近代的で若干バブリーな街並み。ギリシア辺りと同様、見たことのない国旗のクルーザーが沢山停泊中。恐らく中東やアフリカの王族だろうと想像。
日本人の作品?ネコ侍やネコ相撲などの像が並ぶ。
旧ユーゴスラビア軍事博物館もあった。目の前はユーゴ軍の潜水艦だそうだ。
コトル湾クルーズの船に乗り込むまで少し自由行動時間。我々は小洒落たバーで休憩。ジントニックのテイクアウトが出来るというので、それを貰って飲みながら出発。
集合場所にクルーズ船が見えないと思ったら想像以上に小さい「乗り合いボート」だったのはご愛敬。(写真手前はユーゴ海軍訓練船。ボートはその先。)
コトル湾は正確にはリアス海岸だがフィヨルドとも呼ばれるそう。波の無い静かな海が陸地深くまで入り込む様は確かに北欧のフィヨルドに似てる。
ボートで約1時間。最初の目的地、海上教会に到着。元々は小舟の上の小さな聖堂だったが、信者がせっせと石を運んで、こんな大きな島と聖堂になったらしい。
内部も気合が入っていて、見事な装飾。祭壇の他にも海にまつわる絵画が多く飾られていて、海難事故の恐ろしさと、神様がそれを守ってくれるという内容が多い。日本でも漁師町のお寺で類似のものを見かけるので、民族は違っても同じ人間だなと思う。
この後は対岸のPerastの町に上陸。この辺りは海軍の訓練施設もあったらしいが、町を見る限り、今はのどかな海辺の村という感じ。ここで自由時間。半数はビーチに向かったが、我々は少し散策してランチタイムにする。先ずは一番目立つ塔がある方角へ。
塔は聖ニコラ教会の鐘楼だった。まずは質素ながらきちんと手入れされている聖堂を見学し、お礼をした後はイザ鐘楼へ。
鐘楼は入口のおばちゃんに1ユーロ払って入場。「十分注意して」と言われた通り、数段に区切られた塔の中は区切りフロアごとに狭い穴を抜ける場所があって、登るのが結構大変。
最上階は鐘楼の鐘が有る場所だった。無事に登りきれたと思ったのに最後に鐘に頭をぶつけた。本当に危険な塔だった。。。
しかし眺めは素敵。アドリア海特有の碧い海の色。先ほど立ち寄った海上教会「Lady of the rocks」も綺麗に見える。
最初に通り抜けてきた海峡。あんなに狭いのに大型客船が通れるのだから、相当深いのだろう。
コトル湾の奥は名前通りコトルの街。大型客船の寄港地としても人気の場所だが、今日も船が来ているのが見える。
塔からの眺めを楽しんだ後はランチへ。暑い真昼でも日陰が涼しいのはいつも通り素晴らしいと思う。海が見える洒落たテラス席が有るレストランを見つけ、そこにテーブルを確保。
氷を貰ってブツけたおデコを冷やしつつ、ロゼワインで乾杯。この辺りはワインに氷を入れる習慣があるので、氷もワイン用だと思って普通に持ってきてくれたが、頭を冷やしだしたら「どうした、ぶつけたか、もっと冷やすか」と色々気を使ってくれる。この辺りの人は少し無愛想だけれど、実はすごく優しくて人好きな雰囲気を感じる。(優しいのに笑顔が苦手で冷たく見えるのは日本人に似てるかも。)
前菜はフィッシュスープと生ハム。ハムはご近所のクロアチア特産ダルマチアハムにそっくり。但し少し手を加えてスモークしてるそうで、なかなか美味。
連れのメインはシーフードリゾット。かなり美味しかったらしい。
自分はボンゴレパスタ。この辺りのボンゴレは殻が分厚く、日本のアサリとは雰囲気が違うが、味は大体一緒。ただ、味付けにお酢を使ってるそうで、普通にオリーブとガーリックだけで良いのにと思った。(ビネガー使ってるの?と聞いたら、「料理好きなのか!?味付けはあれやらこれやらで、酢も入れてるぞ」と長々と説明してくれた。どうやら気に入ったと勘違いされたみたいだが、それはそれでOK。。。)
食後はまたボートに乗ってコトルへ。街はすでに見えてるのに、結構遠くて驚く。1時間弱、周りの街を眺めつつの船旅。
コトルに着くと大型客船が3隻も停泊していた。旧ヴェネチア共和国のアドリア海沿岸要塞都市としてはドブロクニクが圧倒的人気だが、コトルも負けてない。
我々の小舟は旧市街西側の公園に到着し、徒歩で旧市街に向かう。旧市街は城壁で囲まれているので西側に入り口が無く、ここから東に回りこむしかない。
東側のゲート到着。正門らしく賑やか。山の上にまで続く城壁はまるで万里の長城みたい。
正門を入ると名所の一つ、時計塔の広場がお出迎え。さすがに世界遺産の街だけあって賑やか。日本人ツアーも数組来ていたのでちょっとばかり隣で説明を聞かせてもらったり。
城壁内の広さはドブロクニクの方が大きいが、街の古びた雰囲気はコトルの方が上に思う。小さい広場が迷路のような細い路地で繋がった作りは本家ヴェネチアに通じるところがある。
街一番の聖堂、トリプン大聖堂とその広場に出た。
トリプン大聖堂は上階から聖堂を見下ろせる場所があって、ウクライナ辺りの正教会に通じる作りに思えた。外にもテラスがあり、広場も見下ろせる。
入口の若者は我々が日本人だと分かると一生懸命日本語の単語を使ってくれたが、帰り際は「またね」だそうだ。モンテネグロだけではないが、欧州人は本当に語学に熱心だなと思う。今回のガイドさんもセルビア(モンテネグロ)語に英語、フランス語もイケるみたいだし、中流以上では2〜3ヶ国語以上が当たり前なんだろう。
相変わらず面倒くさがりなので、そろそろ休憩場所を探し始める。観光というより眺めの良いカフェ探しをしながらカランパナ広場へ。建物の背後にモンテネグロ(=黒い山)とそこに連なる城壁が見えたので記念撮影。
もう少し良い広場を探してサンニコラ広場へ。聖ニコラ教会が立派だったので見学して、ついでにお土産物色。ここのお兄ちゃんも良い人で、キリルの「サンニコラ」の読み方などを教えてくれた。
この後もう少しヴェネチア風迷路を彷徨う。
結局最初の時計台広場に戻ってきた。ここが一番広いし、賑やかだし、カフェに陣取るならこうでなければ。(我ながらミーハー)
この後はまたバスに1時間ほど揺られホテルに戻る。ホテルのルーフバーで飲み直して4日目終了。