Montenegro4日目 [旅行]
4日目はコトル湾へのエクスカージョン。昨日残念な勘違いをしたが、本日は予定どおり送迎バスがやってきたので一安心。
ペトロバック村は始発点で、ここから数カ所のホテルを回りつつ、Tivatに有るモンテネグロ港に向かう。(南から北へ。)
我々も毎日使ってるスーパーVOLIのロードサイド店。ドイツナンバー等、やはり沢山の外国人客が集まってる。一ヶ月もバカンスを取るなら自走で来た方が楽なんだろう。こういう所が羨ましい。
TIvat周辺の一般的な街並み。新しい家が多いのはユーゴ紛争のせいではなく、1979年の大地震が原因だそうだ。それまで農林業主体で点在していた家々が地震による倒壊を機に街道沿いに移転してきたそう。やっぱりガイド付きツアーは勉強になる。(忙しくなければ良いのだが)
モンテネグロ港到着。超近代的で若干バブリーな街並み。ギリシア辺りと同様、見たことのない国旗のクルーザーが沢山停泊中。恐らく中東やアフリカの王族だろうと想像。
日本人の作品?ネコ侍やネコ相撲などの像が並ぶ。
旧ユーゴスラビア軍事博物館もあった。目の前はユーゴ軍の潜水艦だそうだ。
コトル湾クルーズの船に乗り込むまで少し自由行動時間。我々は小洒落たバーで休憩。ジントニックのテイクアウトが出来るというので、それを貰って飲みながら出発。
集合場所にクルーズ船が見えないと思ったら想像以上に小さい「乗り合いボート」だったのはご愛敬。(写真手前はユーゴ海軍訓練船。ボートはその先。)
コトル湾は正確にはリアス海岸だがフィヨルドとも呼ばれるそう。波の無い静かな海が陸地深くまで入り込む様は確かに北欧のフィヨルドに似てる。
ボートで約1時間。最初の目的地、海上教会に到着。元々は小舟の上の小さな聖堂だったが、信者がせっせと石を運んで、こんな大きな島と聖堂になったらしい。
内部も気合が入っていて、見事な装飾。祭壇の他にも海にまつわる絵画が多く飾られていて、海難事故の恐ろしさと、神様がそれを守ってくれるという内容が多い。日本でも漁師町のお寺で類似のものを見かけるので、民族は違っても同じ人間だなと思う。
この後は対岸のPerastの町に上陸。この辺りは海軍の訓練施設もあったらしいが、町を見る限り、今はのどかな海辺の村という感じ。ここで自由時間。半数はビーチに向かったが、我々は少し散策してランチタイムにする。先ずは一番目立つ塔がある方角へ。
塔は聖ニコラ教会の鐘楼だった。まずは質素ながらきちんと手入れされている聖堂を見学し、お礼をした後はイザ鐘楼へ。
鐘楼は入口のおばちゃんに1ユーロ払って入場。「十分注意して」と言われた通り、数段に区切られた塔の中は区切りフロアごとに狭い穴を抜ける場所があって、登るのが結構大変。
最上階は鐘楼の鐘が有る場所だった。無事に登りきれたと思ったのに最後に鐘に頭をぶつけた。本当に危険な塔だった。。。
しかし眺めは素敵。アドリア海特有の碧い海の色。先ほど立ち寄った海上教会「Lady of the rocks」も綺麗に見える。
最初に通り抜けてきた海峡。あんなに狭いのに大型客船が通れるのだから、相当深いのだろう。
コトル湾の奥は名前通りコトルの街。大型客船の寄港地としても人気の場所だが、今日も船が来ているのが見える。
塔からの眺めを楽しんだ後はランチへ。暑い真昼でも日陰が涼しいのはいつも通り素晴らしいと思う。海が見える洒落たテラス席が有るレストランを見つけ、そこにテーブルを確保。
氷を貰ってブツけたおデコを冷やしつつ、ロゼワインで乾杯。この辺りはワインに氷を入れる習慣があるので、氷もワイン用だと思って普通に持ってきてくれたが、頭を冷やしだしたら「どうした、ぶつけたか、もっと冷やすか」と色々気を使ってくれる。この辺りの人は少し無愛想だけれど、実はすごく優しくて人好きな雰囲気を感じる。(優しいのに笑顔が苦手で冷たく見えるのは日本人に似てるかも。)
前菜はフィッシュスープと生ハム。ハムはご近所のクロアチア特産ダルマチアハムにそっくり。但し少し手を加えてスモークしてるそうで、なかなか美味。
連れのメインはシーフードリゾット。かなり美味しかったらしい。
自分はボンゴレパスタ。この辺りのボンゴレは殻が分厚く、日本のアサリとは雰囲気が違うが、味は大体一緒。ただ、味付けにお酢を使ってるそうで、普通にオリーブとガーリックだけで良いのにと思った。(ビネガー使ってるの?と聞いたら、「料理好きなのか!?味付けはあれやらこれやらで、酢も入れてるぞ」と長々と説明してくれた。どうやら気に入ったと勘違いされたみたいだが、それはそれでOK。。。)
食後はまたボートに乗ってコトルへ。街はすでに見えてるのに、結構遠くて驚く。1時間弱、周りの街を眺めつつの船旅。
コトルに着くと大型客船が3隻も停泊していた。旧ヴェネチア共和国のアドリア海沿岸要塞都市としてはドブロクニクが圧倒的人気だが、コトルも負けてない。
我々の小舟は旧市街西側の公園に到着し、徒歩で旧市街に向かう。旧市街は城壁で囲まれているので西側に入り口が無く、ここから東に回りこむしかない。
東側のゲート到着。正門らしく賑やか。山の上にまで続く城壁はまるで万里の長城みたい。
正門を入ると名所の一つ、時計塔の広場がお出迎え。さすがに世界遺産の街だけあって賑やか。日本人ツアーも数組来ていたのでちょっとばかり隣で説明を聞かせてもらったり。
城壁内の広さはドブロクニクの方が大きいが、街の古びた雰囲気はコトルの方が上に思う。小さい広場が迷路のような細い路地で繋がった作りは本家ヴェネチアに通じるところがある。
街一番の聖堂、トリプン大聖堂とその広場に出た。
トリプン大聖堂は上階から聖堂を見下ろせる場所があって、ウクライナ辺りの正教会に通じる作りに思えた。外にもテラスがあり、広場も見下ろせる。
入口の若者は我々が日本人だと分かると一生懸命日本語の単語を使ってくれたが、帰り際は「またね」だそうだ。モンテネグロだけではないが、欧州人は本当に語学に熱心だなと思う。今回のガイドさんもセルビア(モンテネグロ)語に英語、フランス語もイケるみたいだし、中流以上では2〜3ヶ国語以上が当たり前なんだろう。
相変わらず面倒くさがりなので、そろそろ休憩場所を探し始める。観光というより眺めの良いカフェ探しをしながらカランパナ広場へ。建物の背後にモンテネグロ(=黒い山)とそこに連なる城壁が見えたので記念撮影。
もう少し良い広場を探してサンニコラ広場へ。聖ニコラ教会が立派だったので見学して、ついでにお土産物色。ここのお兄ちゃんも良い人で、キリルの「サンニコラ」の読み方などを教えてくれた。
この後もう少しヴェネチア風迷路を彷徨う。
結局最初の時計台広場に戻ってきた。ここが一番広いし、賑やかだし、カフェに陣取るならこうでなければ。(我ながらミーハー)
この後はまたバスに1時間ほど揺られホテルに戻る。ホテルのルーフバーで飲み直して4日目終了。
ペトロバック村は始発点で、ここから数カ所のホテルを回りつつ、Tivatに有るモンテネグロ港に向かう。(南から北へ。)
我々も毎日使ってるスーパーVOLIのロードサイド店。ドイツナンバー等、やはり沢山の外国人客が集まってる。一ヶ月もバカンスを取るなら自走で来た方が楽なんだろう。こういう所が羨ましい。
TIvat周辺の一般的な街並み。新しい家が多いのはユーゴ紛争のせいではなく、1979年の大地震が原因だそうだ。それまで農林業主体で点在していた家々が地震による倒壊を機に街道沿いに移転してきたそう。やっぱりガイド付きツアーは勉強になる。(忙しくなければ良いのだが)
モンテネグロ港到着。超近代的で若干バブリーな街並み。ギリシア辺りと同様、見たことのない国旗のクルーザーが沢山停泊中。恐らく中東やアフリカの王族だろうと想像。
日本人の作品?ネコ侍やネコ相撲などの像が並ぶ。
旧ユーゴスラビア軍事博物館もあった。目の前はユーゴ軍の潜水艦だそうだ。
コトル湾クルーズの船に乗り込むまで少し自由行動時間。我々は小洒落たバーで休憩。ジントニックのテイクアウトが出来るというので、それを貰って飲みながら出発。
集合場所にクルーズ船が見えないと思ったら想像以上に小さい「乗り合いボート」だったのはご愛敬。(写真手前はユーゴ海軍訓練船。ボートはその先。)
コトル湾は正確にはリアス海岸だがフィヨルドとも呼ばれるそう。波の無い静かな海が陸地深くまで入り込む様は確かに北欧のフィヨルドに似てる。
ボートで約1時間。最初の目的地、海上教会に到着。元々は小舟の上の小さな聖堂だったが、信者がせっせと石を運んで、こんな大きな島と聖堂になったらしい。
内部も気合が入っていて、見事な装飾。祭壇の他にも海にまつわる絵画が多く飾られていて、海難事故の恐ろしさと、神様がそれを守ってくれるという内容が多い。日本でも漁師町のお寺で類似のものを見かけるので、民族は違っても同じ人間だなと思う。
この後は対岸のPerastの町に上陸。この辺りは海軍の訓練施設もあったらしいが、町を見る限り、今はのどかな海辺の村という感じ。ここで自由時間。半数はビーチに向かったが、我々は少し散策してランチタイムにする。先ずは一番目立つ塔がある方角へ。
塔は聖ニコラ教会の鐘楼だった。まずは質素ながらきちんと手入れされている聖堂を見学し、お礼をした後はイザ鐘楼へ。
鐘楼は入口のおばちゃんに1ユーロ払って入場。「十分注意して」と言われた通り、数段に区切られた塔の中は区切りフロアごとに狭い穴を抜ける場所があって、登るのが結構大変。
最上階は鐘楼の鐘が有る場所だった。無事に登りきれたと思ったのに最後に鐘に頭をぶつけた。本当に危険な塔だった。。。
しかし眺めは素敵。アドリア海特有の碧い海の色。先ほど立ち寄った海上教会「Lady of the rocks」も綺麗に見える。
最初に通り抜けてきた海峡。あんなに狭いのに大型客船が通れるのだから、相当深いのだろう。
コトル湾の奥は名前通りコトルの街。大型客船の寄港地としても人気の場所だが、今日も船が来ているのが見える。
塔からの眺めを楽しんだ後はランチへ。暑い真昼でも日陰が涼しいのはいつも通り素晴らしいと思う。海が見える洒落たテラス席が有るレストランを見つけ、そこにテーブルを確保。
氷を貰ってブツけたおデコを冷やしつつ、ロゼワインで乾杯。この辺りはワインに氷を入れる習慣があるので、氷もワイン用だと思って普通に持ってきてくれたが、頭を冷やしだしたら「どうした、ぶつけたか、もっと冷やすか」と色々気を使ってくれる。この辺りの人は少し無愛想だけれど、実はすごく優しくて人好きな雰囲気を感じる。(優しいのに笑顔が苦手で冷たく見えるのは日本人に似てるかも。)
前菜はフィッシュスープと生ハム。ハムはご近所のクロアチア特産ダルマチアハムにそっくり。但し少し手を加えてスモークしてるそうで、なかなか美味。
連れのメインはシーフードリゾット。かなり美味しかったらしい。
自分はボンゴレパスタ。この辺りのボンゴレは殻が分厚く、日本のアサリとは雰囲気が違うが、味は大体一緒。ただ、味付けにお酢を使ってるそうで、普通にオリーブとガーリックだけで良いのにと思った。(ビネガー使ってるの?と聞いたら、「料理好きなのか!?味付けはあれやらこれやらで、酢も入れてるぞ」と長々と説明してくれた。どうやら気に入ったと勘違いされたみたいだが、それはそれでOK。。。)
食後はまたボートに乗ってコトルへ。街はすでに見えてるのに、結構遠くて驚く。1時間弱、周りの街を眺めつつの船旅。
コトルに着くと大型客船が3隻も停泊していた。旧ヴェネチア共和国のアドリア海沿岸要塞都市としてはドブロクニクが圧倒的人気だが、コトルも負けてない。
我々の小舟は旧市街西側の公園に到着し、徒歩で旧市街に向かう。旧市街は城壁で囲まれているので西側に入り口が無く、ここから東に回りこむしかない。
東側のゲート到着。正門らしく賑やか。山の上にまで続く城壁はまるで万里の長城みたい。
正門を入ると名所の一つ、時計塔の広場がお出迎え。さすがに世界遺産の街だけあって賑やか。日本人ツアーも数組来ていたのでちょっとばかり隣で説明を聞かせてもらったり。
城壁内の広さはドブロクニクの方が大きいが、街の古びた雰囲気はコトルの方が上に思う。小さい広場が迷路のような細い路地で繋がった作りは本家ヴェネチアに通じるところがある。
街一番の聖堂、トリプン大聖堂とその広場に出た。
トリプン大聖堂は上階から聖堂を見下ろせる場所があって、ウクライナ辺りの正教会に通じる作りに思えた。外にもテラスがあり、広場も見下ろせる。
入口の若者は我々が日本人だと分かると一生懸命日本語の単語を使ってくれたが、帰り際は「またね」だそうだ。モンテネグロだけではないが、欧州人は本当に語学に熱心だなと思う。今回のガイドさんもセルビア(モンテネグロ)語に英語、フランス語もイケるみたいだし、中流以上では2〜3ヶ国語以上が当たり前なんだろう。
相変わらず面倒くさがりなので、そろそろ休憩場所を探し始める。観光というより眺めの良いカフェ探しをしながらカランパナ広場へ。建物の背後にモンテネグロ(=黒い山)とそこに連なる城壁が見えたので記念撮影。
もう少し良い広場を探してサンニコラ広場へ。聖ニコラ教会が立派だったので見学して、ついでにお土産物色。ここのお兄ちゃんも良い人で、キリルの「サンニコラ」の読み方などを教えてくれた。
この後もう少しヴェネチア風迷路を彷徨う。
結局最初の時計台広場に戻ってきた。ここが一番広いし、賑やかだし、カフェに陣取るならこうでなければ。(我ながらミーハー)
この後はまたバスに1時間ほど揺られホテルに戻る。ホテルのルーフバーで飲み直して4日目終了。
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